2011年8月19日金曜日

太平洋を翔んだ折り鶴



医療検査学科 坂本


 それは3月11日の午後4時過ぎだった。「地震があったけようだけど、大丈夫か?」サンフランシスコに住む友人からメールが届いた。その前夜も妻宛にボストンの友人から同様のメールが届いていたこともあり、3月9日にあった東北での地震は海外で話題にするほど大きな地震だったのかと、気になりインターネットで検索した。すると、そこには絶句する情報が満載され、想像を絶する地震が東北地方で起こったことを知った。
 本学は神戸の山沿いに立地する上、私がいた建物は鉄筋の真新しい建物なので、私は揺れを全く感じなかったのだ。帰宅後にテレビを付けると、現実とは思えない光景が次々と映しだされ、事の重大さをあらためて実感した。
 私の友人が多く住むボストンはアメリカ東海岸に位置し、震災当時は冬時間だったので時差は11時間、日本が夜8時だと現地は朝の7時だ。衝撃的な映像はアメリカでも放映され、当夜はアメリカから何十通も安否を尋ねるメールが届いた。海外からのお見舞いメールは数日続き、感謝の気持ちと共に日本にいながら何も出来ていない自分がいた。
 私ごとだが、神戸での生活は震災当時でちょうど2年ほど、阪神・淡路大震災で大きな被害のあった当時の様子を知らず、綺麗に復興した神戸で快適に過ごさせて頂いている。少しも関わっていない私が、震災時に被害の最も大きかった長田区で働かせてもらい、申し訳ないような気持ちがいつもあった。
 自分一人では何も出来ずとも、また自分が被災地に行けなくても、きっと何か出来ると思い、落ち着いて考えてみた。そうだ!海外にも義援金活動を広めようと、アメリカ臨床病理学会(ASCP)にこちらの報告と共に、義援金集めのお願いをした。副会長は昨年神戸にも訪れ、日本へ理解の深い方なので話はすぐに進み、以下のように義援金集め活動を開始して下さった。
http://www.ascp.org/Japan

 阪神・淡路大震災では大型の臨床検査分析装置が使えず、ドライケミストリーと呼ばれる、水を機器のメインテナンスに用いない機器が活躍した。現在は
POCT (ポイント オブ ケア テスティング)と呼ばれ、片手で持てるほど小型の機器で水も不要で多くの臨床検査が実施できる。この機械を被災地で役に立ててもらおうと、有志に声をかけて臨床検査分野での支援活動が始まった。
 同様の思いを抱く方や企業の方々が多く、その動きはあっという間に日本臨床検査医学会にまで届き、本格的に支援活動が始まった。その支援活動の一環で、被災地である岩手県陸前高田市を訪問する機会があった。訪問の様子を義援金集めのお礼と共にASCPへ伝えたところ、その手紙が以下のようにホームページに掲載された。
http://www.ascp.org/MainMenu/AboutASCP/Newsroom/ASCP-Receives-Letter-of-Appreciation-from-Japan.aspx

 上記の手紙を読んだアメリカ・ニュージュージー州の臨床検査技師の方々より、折り鶴をメッセージと共にシカゴのASCP本部へ送って下さいました。その鶴がASCP経由で神戸の私宛に届き、それを今度は訪問先である岩手県陸前高田市の米崎コミュニティーセンター内仮設診療所に送りました。
 
 被災地より以下のメッセージと共に鶴を受領された連絡があり、鶴はアメリカ東海岸のニュージャージー州→アメリカ中部のイリノイ州→神戸→岩手県と長い旅を終えて目的地にたどり着きました。
「この度は心温まるメッセージと美しい折り鶴を頂き感謝申し上げます。私たちは、皆様の優しさに包まれ日々頑張っています。道程はまだまだ長く険しいですが、笑顔を絶やさず鶴のように舞い上がります。ありがとうございました。」

 笑顔を絶やさず鶴のように舞い上がる。ジーンと来てしました。